プロフィール
もくじ
ぼけーっとした学生時代
小学校の頃はサッカーに明け暮れる少年でした。
とにかくサッカーが大好き。
割と真面目に練習していました。
しかし中学生になると
反抗期もありサッカーを辞めてテニスを始めました。
全てのことに無気力になり
勉強もしなかったため成績がかなり落ちました。
この頃はいかに努力をしないかということばかり考えていました。
高校はなんとか県立の高校に入ることができ
テニス部に在籍するものの、やる気はありませんでした。
当然、テニスでも大した結果も出せず
僕の高校時代は終わりを告げました。
周りが大学を受験するということで
なんとなく大学受験をするものの失敗。
浪人生活を経て
周りがストレートで入れるような大学になんとか滑り込みました。
大学時代も特にやりたいこともなく
小売業のバイトに明け暮れる日々。
就職も特にやりたいことがなかったので
バイトで楽しかった小売業の会社に就職。
本当にぼんやりと生きていたわけですが
この会社に入ったことが僕の人生を大きく変えることになります。
入社と鬱地獄の入り口
会社に入ると驚きの連続でした。
入社すると家電売り場に配属となり
入社1か月で異動
人間関係も慣れてないままに環境が変わり
商品知識も曖昧なまま1人で売り場を任されました
誰も何も教えてくれないのです。
当然お客様にはよく怒られました。
それでも必死に食らいついたのですが
とにかく力不足でした…
圧倒的にわからないことが多すぎてお客様に迷惑かけっぱなしでした。
情けなくて帰りの電車では悔しくて泣いていたこともありました。
朝6時に家を出て夜12時に帰ってくる生活で
毎日疲れ果てていました。
そこから半年でまた異動になり。
環境の変化とプレッシャーに疲労感は積み重なっていきました。
仕事は、なんとか慣れてきてはいたのですが
相変わらず自分の負担は減ることはありませんでした。
商品知識を覚えるのに精いっぱいで他の部署の同期と比べると
会社の数字には疎く店長に怒られることも多々ありました。
職場の周りの地域の客層がよくなく、クレーム対応も多かったです。
そして携帯電話スタッフのクレームも自分に回ってきました。
原付で店の外へ出てお客様のご自宅に向かい謝りに行ったり
当然、自分が外出していた時間に自分がしなくてはいけない仕事は終わらず
残業の日々
それと厄介だったのが、職場の人の言うことがみんな違ったんですよね。
店長、次長、主任、先輩社員と言うことがバラバラ。
自分の意見を言えればよかったのですが
あっちを立てて、こっちを立ててという風にしていると
何を言っても誰かしらに怒られるという日々が続き
よくわからなくなっていきました。
もう限界でした。
なんで2年目でここまで責任を負わないといけないのか
自分が悪くなくても他のスタッフのミスを謝らないといけないのか
何が正しいのか
この会社は何がしたいのか
それでも苦しくても
これが自分の仕事だからと耐えていたのですが…
ある日、原付を運転して職場に向かう最中に違和感を覚えました。
音が聞こえないのです。
車のエンジン音も、鳥の鳴き声も、川のせせらぎも。
あーこれはまずいと。
自分の中では薄々、気づいていたのです。
自分の体の異変に…。
もう苦しかったんですよ。
自分は何をしているんだろう
お給料をもらっても使わないし
平日休みで友人と遊ぶこともなくなった。
こんなに苦しい思いをして何なんだろうって。
もうダメだ。
このままじゃダメになると思って、僕はギブアップをしました。
病院に行くと鬱状態と診断され。
僕は会社を休職することになりました。
気持ちが切れてしまったためかベッドで横になる日々が続きました。
ベッドから立つので精いっぱい。
散歩しようものならフラフラして目まいや吐き気が襲ってきました。
苦しかったです。
自分の体がこんなになってしまうなんて
恐怖すら覚えました
それでも泣き言は言えませんでした。
上司には絶対1か月で戻ると宣言していたからです。
そしてこの選択がさらなる悲劇を生むこととなります。
鬱地獄の日々
1か月で職場に戻ったのですが体は本調子には程遠く
とても普通には仕事ができませんでした。
会社も裏方の部署に配属してくれたのですが
薬を飲んでいたために眠気もひどく
集中力も散漫で何より気分の落ち込みがとてもひどく
必要最低限の仕事しかできませんでした。
当時の店長はとてもいい人で大丈夫だから!と言ってくれたのですが…
大した仕事ができない自分が歯がゆく
自分を責めていました
仕事をしている時は話したくない
笑いたくもない
とにかく集中力がなかったので人の話も頭に入ってこない
立っていてもフラフラしてしまって、とてもきつかったです。
それでもお給料を頂いているわけだし
頑張らないと!となんとか仕事をやっていました。
それに頑張らないとクビになるんだろうなと
そういうプレッシャーも会社からありましたし…。
休みの日は体が疲れてしまって寝たきりになってしまうようになりました。
1か月、2か月と仕事を続けていくと
もう休みの日は寝ているしかなく
むしろ反動はどんどん大きくなってきました。
どんどん自分が追い込まれていくわけです
体調は悪化の一途を辿っていきました。
薬の量もどんどん増えていき
苦しさが増していきました
もうこれ以上、薬の量が増えると戻ってこれなくなると思い
大丈夫だと嘘をついて薬の量を増やさないようにしました
あのまま薬の量が増えていたら入院して
廃人になっていたなと思います。
ただ薬の量を調整しても体調はどうしようもなかったですけどね。
あまりの苦しさに夜中に叫んだこともありました
ノートパソコンを投げて壊したこともありました。
めちゃくちゃでした。
自分を保てなくなっていました。
もう壊れていました。
脳はもう自分以外の何者かに洗脳されたように
お前なんて死んでしまえと
1日中、自分の意志とは関係なくネガティブ言葉を浴びせてきました
体は薄い膜に覆われたように、とても不快で倦怠感がすごくて
立ち上がるのも難しくなってきました。
もう、どうしようもなかったです。
意識があるのが苦しくて、しょうがなかったです。
意識がなくなればいいのにと、ずっと思っていました。
寝ている時だけが、ゆいいつ心が休まる時でした。
休みの日はカーテン閉めたままの部屋で薄暗い天井を見て過ごしていました。
この光景が僕の20代で一番印象に残っている景色です。
ほんとに意識が混濁した中で、ずっと見てましたから。
この頃の僕はいろんなことを考えていました。
こんな状況なら死んだ方がましだなとも思ってました。
もう自分の人生は終わったんだ。
もう無理だ…
そんなことをずっと考えていました。
そんな極限の状態でも自分がしたいことってなんだろうって考えたんです。
その時に僕が思ったのは
体が元に戻るのであれば死ぬ気で努力がしたいということでした。
もちろん体が治るなんてことはないと自分が一番わかってはいましたが。
それでも、この頑張れない体では何も起きないわけで
何かを起こすには努力をしないといけないとも思っていました。
そんな僕にさらなる試練が訪れます。
ある日、自分の部屋で眠ろうとした時に違和感を感じたのです。
何か息苦しい。
これは、息ができなくなるかもしれないと。
本能的に察知しリビングまで行き母親に話しかけようとしたところで
息ができなくなってしまったのです。
頭の中が真っ白になっていき…
あーこうやって人は死ぬんだと思いました。
病院に運ばれている最中も苦しいのですが意識はあり、命に別状はありませんでした。
簡易な診察を受けたものの原因はわからず帰宅しました。
その日はあまりの恐怖に母に隣で寝てもらいました。
ショックでした。
息ができなくなるなんて思わなかったから。
いつまた呼吸ができなくなると思うと怖くて眠れませんでした
そして呼吸ができないってどういうことなんだろう
呼吸って赤ちゃんも無意識にできることなのに
僕は意識してもできなくなってしまった…
どうなってしまうんだろうと。
朝方、隣で寝ている母親の寝顔を見て思いました。
自分の子どもが精神を病み、朽ち果てていく様を見て、
呼吸ができなくなり病院に運ばれる様を見て、どんな気持ちなんだろうと…
自分も苦しいけど、母親も苦しいだろうと
気持ちはもう切れていましたが自分が死んだら、
この人は一生、後悔の念を抱きながら生きていくことになるのかなと
それはやってはいけないだろうと
苦しいけど生きるしかないなと
この体で、この人生を全うするしかないんだなと
そんなことを思いました。
翌日、病院で検査を受けても異常は見当たらず
頭を抱えましたよ
原因不明
精神的なもの
そんなことを言われても納得はできないんですよ。
そんなことで、なんで呼吸ができなくなるのか
全く理解できませんでした。
それでも僕はそんな体で生きていかなくてはいけないんです。
1年後に1回。
2年後に1回。
電車で発作が起き、呼吸困難になりました。
原因はわからずです。
僕は座り込みながらホームで息を整えて何事もなく会社に向かいました。
これが自分の人生なんだと、わかってましたから。
もうずっと悔しかったです。
悔しくて悔しくて仕方なかったです。
それでも、諦めるわけにはいかなかったんです。
自分は自分の人生を全うすると決めていましたから。
運命の出逢い
30歳を超えたあたりから
体調が少し、よくなってきました。
一進一退はありましたが
休みの日に寝たきりというのはなくなっていました。
この時期の僕は転職に向けて動き始めていました。
転職のための資格の勉強もできるほどに
体調は戻りつつありました。
そして、そんなときにせどりと出会うのです。
Bigtomorrowという雑誌に載っていて
こんなの稼げるわけないじゃんと。
試しにブックオフに行って
ワゴンの中にあった500円のサッカーのDVDを仕入れてみたら
3000円で売れたんですよ。
すごい!!
ほんとに利益が出るんだ!
感動しましたね。
その後も仕事終わりはブックオフに行くのが日課になりました。
本当に時間をかければかけるほど仕入れができて
利益が増えていくんですよ!
1か月目 月商36490円 利益16784円
2か月目 月商372421円 利益43323円
3か月目 月商191278円 利益72047円
ほんとに頑張りました。
休みの日もほぼブックオフに行きましたから。
せどりって安く仕入れて高く売るだけなんですよ。
頑張れば頑張るほど成果が上がっていくんで
楽しくてのめりこんでいきました。
やる気だけでドンドン稼げるし
時間をかければかけるほど数字が上がってきましたから!
独学の限界
ただ数字は伸び悩みました。
自分の本業を超える収入というとイメージが湧きにくく。
壁にぶつかりました。
どうしたらいいんだろうか。
100%独学で一人でやっていたので全然わからないんですよね。
そんな中メルマガという怪しげなものに登録してみました。
Bigtomorrowに出ていた方だったので平気かなと思って。
そしたら迷惑フォルダーに
クラスター長谷川という男からもメールが届くようになり
開いてみるとこの方もBigtomorrowに出ていた人で。
見たことはありました。
赤い戦闘服に身を包みアフロでサングラス。
雑誌見てる時から一際目立っていた人で
ツッコミどころが3つもある…
怪しい…
怪しすぎる!
胡散臭すぎる!!
絶対騙されないぞ!
絶対に!!絶対にだ!!!
しばらくは無視をしていたのですが
毎日メルマガが届くので気になって開くと
書籍を出すということでセミナーに参加することにしました。
セミナーって行くの初めてで恐ろしかったです。
閉じ込められて、なんか買わされるのかなって。
ビクビクしていました。
セミナー始まってクラスター長谷川さんの講義を聞きました。
見た目はふざけていましたが真面目な人で拍子抜け。
後半はフジップリンという謎のおじさんの講義が始まり
なんだクラスター長谷川さんの話を聞きにきたのにと
誰だお前は!と
完璧な無視を決め込みました。
セミナー後の懇親会で
ぜひクラスター長谷川さんと話をしたいと思ったのですが
どうしても自分から話しかけに行けずに落ち込んでいました
すると『みなさん楽しんでますかー』と話しかけてくれる人がいて
どっかで聞いたことある声だなと思っているとフジップリンさんでした!
すごいおじさんだと思ってたら、若くてイケメンで驚きました。
とても楽しそうに優しく話してくれる方で
講師なのに偉そうじゃなくて自分の失敗談とかを面白く話をしてくれて
いろいろ相談に乗っていただきました
この時に印象に残っているのが
この人、妙に目がキラキラしてるなーって。
多分、悪い人じゃなさそうだなと。
この人に騙されたらしょうがないなーと。
信じてみようと、クラスターチーム2期生入塾を決めました!
自分の1か月分の給料くらいですから。
ほんと今でもよく払ったなと思います。
絶対そういうチームとか入るタイプの人間じゃないですから。
ただ本当に人生を変えたかったんですよね。
このまま、やりたいくもない仕事をして生きていくのか
せどりで食べていくことができるのか
怖かったですが独学では限界が見えてましたから
転職活動のつもりで
チームに入って自分の可能性を試そうと思いました。
地獄からの生還
クラスターチームに入って楽しかったんですよ。
今まで一人でせどりをしていましたから。
それがSNSで朝起きてから夜寝るまで
せどりの話をできる環境でしたから。
今までは向かい風の中一人で走っていたのが
追い風10メートルくらいの中、みんなで走ってる感じで
切磋琢磨しながら毎日過ごすことができました
ドンドン伸びていくのが感じられました。
独学でやっていた時には全然知らないことが
毎日のフジップリンさんの指導の中で明らかになっていくんです
ビーム?ヤマト便??せどりすとプレミアム???
全然知らなかったことが山ほどありました。
自分なりに頑張っていたつもりでしたが全然わかっていませんでした。
独学の限界を感じましたし
成功している人に教わったほうが絶対的にいいと感じました。
確かにお金はかかりますが
その人の経験して得られたノウハウを教えてもらえますから
圧倒的な時間のショートカットができます。
入塾してからの自分の数字の伸びはすさまじかったです。
月商100万円、利益20万円が目標だったのに
集中期間の6か月で月商300万円、利益60万円を超えましたから。
クラスターチーム2期生MVPも頂けて
嬉しかったです^^
数字の伸びも嬉しかったんですが
僕が嬉しかったのは体が持ちこたえてくれたことでした
本当に限界だって思うところまで追い込みました。
それでも体は全然問題なくて
これは自分はもう大丈夫なんだなって思いました。
自分の体に自信を持つことができました。
チームの集中期間中も薬を服用していたのですが
病院に行き、もう大丈夫ですと報告をして通院が終わりました。
9年間で10000錠を超える薬を飲みました。
もう本当に体がクタクタになることもありました。
もう苦しすぎて自分の限界を超える毎日でした。
それでも、なんとか持ちこたえました。
自分の体もよく頑張ったなーと思います。
自分は、もう大丈夫
そう思わせてくれたのはせどりでした
自分は、また普通の生活ができる
そう思わせてくれたのはせどりでした
せどりが自分の人生を変えてくれました!
せどりに感謝です^^
その年の12月に僕は月商600万円、利益110万円を達成しました。
フジップリンさんの指導があってこそですが
自分の中で大きかったのが同期の存在です。
みんなで目標に向かって頑張るというところで仲間意識もありましたし
同時にライバルとして絶対負けられないという思いもありました。
そして、自分の中で変化を感じたのが自分の姿勢です。
死ぬ気でやりました。
本当に自分を追い込みました。
そして大きいことをあえて口にして行動しました。
逃げ道をなくすためです。
有言実行
必死でしたから。
恥ずかしかったですよ。
自分の思いを口に出すとか。
そんなキャラじゃないですから。
ただ、人生変えようと思ったら
思いっきり自分に負荷をかけて、やり抜くしかないんです。
どんなにみっともなくても、這いつくばってでもやるしかないんです。
僕にはセンスも才能ない。
だから逃げ道をなくして死ぬ気でやるしかなかったんです。
1分でも1秒でも、せどりにつぎ込んで結果を出すんだと。
とにかくがむしゃらに自分の限界を超えて。
やってやる!
やってやるんだ!
もがきました。
もがき続けました。
本当に格好悪かったんですが
結果、僕は月商600万円、利益110万円を達成しました!!
自分でもびっくりしましたね。
こんなことが起こるんだと。
これは僕がすごいわけじゃないんです。
せどりがすごいんです!!
自分は今までの人生で、なかなか結果を残すことができませんした。
仕事だって1回も昇進したことありませんでしたし…。
あまり出来のいい方ではありません。
でも、せどりに関しては努力が報われました。
せどりのポテンシャルに驚きました。
そして僕は会社を辞めて独立を決意するのです。
想定外のつまずき
独立した僕は一人暮らしを始め、せどりに専念をします。
専業になったのだから数字を上げていくぞと気合が入っていました。
自分としては電脳せどりの構成比を上げたいという思いがあり
ハイボール飯島さんの塾に入塾しました
卸からのリピート仕入れに魅力を感じたからです。
利益を積み重ねていく感じが自分の目指している方向性と一致しました。
ただ、環境が変わったためか
体調が悪くなって体がクタクタになってしまい
最初の2か月は苦しみました。
面談とか活動の報告も、できなくクタクタになってしまい
これはまずいぞと焦りました。
専業になったのに副業時代の方が数字がいいんですよ。
完璧に想定外でした。
それでも電脳は体調が悪くてもなんとかできるんですよね
パソコンの前で座っていれば仕入れができますから。
店舗だけだったら車の運転もきついですし
歩くのがしんどかったので電脳に移行してよかったと思いました。
二刀流せどりのマスター
少しずつ電脳せどりのコツをつかみ
店舗と電脳せどりを並行して行えるようになりました。
結果、電脳と店舗で合算して月商500万円、利益93万円を達成ました。
数字的には満足していませんが。
体調を崩した時に電脳せどりがあったから
数字の落ちを最小限にとどめられたなと思っています。
結局、最後の2か月も胃の調子が悪くなり
集中期間6か月のうち計4か月体調不良で苦しみました。
店舗せどりだけだったら大変なことになっていました。
本当に電脳せどりを、やっていてよかったなと思いました。
自己実現していきます
今では店舗せどりは近所にフラッとでかけるくらいで
電脳せどりと使い分けができています。
長い時間、車の運転をすると疲れるでちょうどいいんですよ。
海沿い走りたいなーって思ったら
そこの近隣の店舗に行って夕日を見ながら帰ってきたり
雨降ってて外出たくなかったら家で電脳せどりをしたり。
家に飽きたらカフェで電脳せどりをしたり
幅が広がりましたね。
時間的な余裕があるので昼間作るパスタが無駄にうまくなってきています笑
今の僕はとても自由な生活をしています。
海を見てぼけーっとしたり
フットサルのチームに掛け持ちで入って活動したり。
朝早くから会社に行かないといけないとか
上司に理不尽なことを言われる必要もなく
自分の人生を自分で決めています。
寝る時間も、起きる時間も自由です。
とても穏やかな毎日です。
オリンピックやワールドカップ、甲子園とか自由に見ることができますし。
とてものんびりしていますね。
ただ一方で満たされていない思いもあります。
僕は物欲があまりなく
もっとお金が欲しいという欲求が人よりだいぶ少ないのです。
なので収入を目標にする難しさを感じています。
自分がやりたいことって何だろうって考えた時に思ったのは
1回でも多く笑って生きていきたいなってことです。
笑うことができない期間が長かったですから人生楽しみたいなと
自分の笑顔は見ることができませんから
自分の目の前の人を笑顔にすれば
きっと自分も笑ってますよね^^
だから自分が持っている知識で
困っている人を助けられたら最高じゃないかと
人の役に立ちたいなと。
自分と同じように苦しんでいる人に感謝されたら
それはとても嬉しいし
感動するんじゃないかなと
満たされるんじゃないかなと思っています。
もちろん自分を頼ってもらえるように
もっと稼げるように努力は継続していきますよ!
僕は9年間とても苦しみました。
体が満足に動かない状態でした。
だからこそ、あの9年間があってよかったと思えるような毎日を送りたいと思っています。
僕はサッカーが好きなのでワールドカップをフルに現地観戦したいですし
イタリア、スペイン、イングランドのサッカーを見に旅に行きたいです。
アメリカに行ってメジャーリーグやNBAも見たいですね!
自分が行きたいところに行って自由に時間を使って楽しんでいきたいです!!
頻繁に行けるように努力をしてサクサクと自分の夢、目標を実現させていきたいと思っています!
あなたにもできる
僕は鬱で日常生活をするのもやっとでした。
歩けない時も立つこともできない時もありました。
呼吸すらできないこともありました。
人生諦めてた時もありました。
そんな僕でもせどりで独立することができました。
あなたは歩くことができますか?
あなたは立つことができますか?
あなたは呼吸することができますか?
できるのであれば、あなたにもできると思いますよ!
どうしようもなかった僕にだって、できましたから!
大事なのは自分の人生を変えてやるんだっていう気持ちです。
その気持ち一つで大丈夫です!
人生を変えるために
メルマガを登録していただければ
鬱で日常生活もままならなかった男が
どうやって、せどりで独立したか
店舗、電脳せどりをマスターしたか。
ストレスフリーな生活を得たかを、お教えします。
本当にどん底を経験した人間だからこそ感じられたもの
得られた視点があります。
残念ながら普通に生活をしてきた人には気づかないことがあります。
その感覚、視点を僕のメルマガで感じてほしいのです。
あなたにその感覚、視点が備われば、せどりで成功する絶対の武器になります。
なぜ、せどりで成功する人、失敗する人に別れるのか。
その理由がわかります。
自分なりの努力で終わるのではなく
目標を達成するための努力ができるようになります
努力は辛いもの、苦しいものではなく
努力できることは幸せなことだと感じてもらえると思います。
僕は、心の底から努力をしたくても
努力ができない体と心で9年間を過ごしてしまいました。
努力をしたいという希望すら持つことが許されなかったのです。
僕のメルマガに登録していただけたら
せどりで成功するには、どうしたらいいか理解できます。
僕のように苦しい思いをせずに
その感覚、視点が得られるのはメリットしかありません。
そして店舗せどりと電脳せどりの2つで結果を出している人が少ない中
どうやって店舗と電脳の2つのせどりで結果を出したのか
店舗、電脳の移行の仕方、注意点を詳しく発信していきたいと思っています。
もちろん初心者の方向けに店舗と電脳せどりのやりかた
メリット、デメリットも発信していきたいと思っています。
メルマガの登録って怖いですよね。
自分も昔はそうでした。
初めてメルマガを登録したら、個人情報を盗まれるんじゃとか
変なセールスされるのかなと思ってましたから。
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なので一度だけ登録してみてから判断してください
価値がないと思ったら、読まなくて大丈夫ですし
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